STINGRAYといえば”橋本潤” 〜15年ぶりで横道坊主のライブに行ってきた
中学生の頃にROCKに出会って、エレキベースを手にとりました。
今から20年以上も前のことです。
バンドブームはすでに終わっていましたが、田舎なので流行りとは関係なく、
カッコイイと思ったものは、別け隔てなく聴いて、コピーしたり、といった日々。
ある日、一緒にバンドをやっていた同級生から教えてもらった「横道坊主」という珍しい名前のバンド。ロックンロールなんだけど、ちょっと違う。憂いのあるメロディと力強い歌が、内向的な道産子にあってる気がした。
どハマりしたけど田舎でしたので、なかなかライブには行けず。
CDを擦り切れるほどに聴きこんでいました。
そこから月日は流れ……。
自分は上京してバンド活動を経て、就職・結婚・福岡へ移住と、せわしなくしていたので、ここ数年は、楽器を手に取ることもなく、すっかり普通(?)の人となっていました。
「そろそろ、ライブにでもいきたいな〜」と、なんとなく思っていたところに、横道坊主が福岡にライブで来るという情報を発見して、5/17に福岡のヴードゥー・ラウンジに行ってきました。
この看板をみてわかるように、横道坊主のベーシストであった潤さんはこの世にいません。昨年の4月14日に亡くなってしまいました。
このイベント名で吸いよせられた感じもします(笑)
潤さんにゆかりのあるバンドや、ミュージシャン達が集まって、
スクリーンに映し出されている潤さんに向かって「ありがとう」といいながら最高の演奏をしていました。
自分が到着したのは、横道坊主が始まる少し前。
直前のバンドと、横道坊主、最後におこなわれた出演者全員でのセッションと、短い時間でしたが、存分に楽しみましたよ。
音楽にふれたきっかけが、ビジュアル系バンドよりだったりして、
こういうロックンロールはどうなの? と、視野の狭い中学生の私に衝撃を与えてくれたベーシストです。
横道坊主はメンバーチェンジがあり、それまでの音源と、潤さんが加入した直後のサウンドの違いにも驚きました。その衝撃が凄かった。
今でもハッキリと覚えてます。
一緒にバンドをしていた同級生と、「なんだこのベースは!」と、ミニコンポの前で興奮し、札幌に来てくれた時のライブで動いている本人に会えたり。
出待ちもしました(笑)。
ベースという楽器を選んだバンドマン時代、潤さんから吸収させてもらえたモノは数多くあります。
この日のライブが終わったあと、
生前の潤さんの写真をまとめた写真集を買いました。これは保存版です。
メチャクチャ、カッコイイ!!!
こんなにカッコイイベーシスト、他にいるかな? ってくらい。
この記事のタイトルにあるSTINGRAY、潤さんのトレードマークでもあるMUSICMAN社(現在はアーニーボール社に買収されている)のベースなのですが、他にも著名なベーシストが使っている有名なモデルで、自分も使っていたりしましたが、
「レッチリのフリーが好きなの?」「ルイス・ジョンソン?」「トニー・レビン?」
だいたい、こう聞かれるのがセオリーなのです。
しかし、こう答えてきました。「橋本潤さんですよ!」と。
バンドも辞めて、しばらく音楽自体からは遠ざかっていましたが、
できる形でまた関わっていければ、と思っています。無理に離れることはないですからね。楽器も好きだし、ライブハウスも好き。
いま、こうして15年くらいぶり(前回の正確なライブは忘れた)に、
走り続けてくれている横道坊主を観ることができて、本当に感謝です。
潤さんが病気になって、復帰して、亡くなって。この知らせを聞いた時、全然実感が湧きませんでした。
しかし、今回のライブで潤さんがステージに立っていない事で、「これは本当のことなんだ」と思い知りました。
でも、ヴォーカルの義人氏が「いや、おるよ。そこらへんに。そんな気がするんよね」と言っていましたが、本当にそんな感じ。
ステージから生音を聴くことはできなくなりましたが、忘れようともあの強烈なサウンドは忘れないでしょう。
サポートの永渕英男氏も流石のベースプレイでした。
また、違った横道坊主が見られた感じで楽しい。
こうして自分の中に空白の期間があって、その間に尊敬するベーシストは旅立ってしまいましたが、また、生活の中に音楽が入り込んできて色々な事を思います。
北海道で横道に出会い、横道の地元である九州でライブに行く、という不思議な縁というか、感慨深いものを感じていますが、何事もずっと好きでいたり、続けていれば、なにかしら良いことがあるって事なんだな、と。
横道坊主の皆さん、成澤社長殿、いつまでも健康で続けてくださいね。
110歳まで(笑)。
横道坊主公式ウェブサイト:http://odd-bowz.com/